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トルコ旅行記2000年〈6〉

<カッパドキア奇岩と教会群めぐり>
さて、カッパドキア到着2日目。
今日はいよいよカッパドキアの奇岩地帯をまわります。
tour38.jpg
↑デレベント・バレーのラクダ岩
本日のスタートは9時ピックアップ。
昨日、ホテルまで送ってくれたツアー会社のデルベシュ君と日本語ガイドのセルマンくんが、昨日のちょっとぼろい車で現れました。
カッパドキアでは、日本語ガイドが少ないため、現地の英語ツアーに参加予定だったのですが、なんとラッキーなことに、イスタンブルの日本語ガイド、セルマン君がたまたま翌日から韓国人ツアーとカッパドキアを回る予定だったので、1日予定を繰り上げて来てくれたんだそうです。なので、私たちは、現地英語ツアー代で、ほぼプライベートの日本語ガイドをつけてもらったわけ。

※後でわかったことなんですが、実はセルマン君とは以前、仕入先のお店で会っていたんです。もうずいぶん前のことで、私もすぐにはわからなかったのですが…。そんなこともあって、同世代の彼らとはすぐに意気投合。

さて、まずはラクダ型の岩で有名な『デレベント・バレー』へ。昨日は、夕暮れの中でみた薄ぼんやりとした姿ではなく、朝の光の中で見る奇岩は迫力満点。さっそくラクダ岩近くまで坂を登ったり降りたりして近づくと、思っていたより岩が大きいことにびっくり。それに、地域一帯どこまでもぽこぽことキノコ岩が生えて(?)いるのにも驚きです。
tour39.jpg
それにしても、朝だというのに日差しが強烈!昨日までいたサフランボルは、まだまだ肌寒かったのに、ここではもう日のあたるところでは暑くて上着が要らないぐらい。
     ゼルヴェ野外博物館→

さて、お次は『ゼルヴェ野外博物館』へ。
博物館といってもかなりの奥行きの1つの谷間そのものを、見学者が歩いてまわるだけという感じのところです。
途中、道らしき道が雑草にふさがっていたりして、ちょっと探検気分。
tour40.jpg
↑昔の人はこういう景色を窓から見ていたんですね。(ゼルヴェの住居跡)
実はこの谷間、50年ぐらい前まで、実際に奇岩を掘って住居にし、人が住んでいたという集落跡で、あちこちに住居後の洞窟や、窓が掘られています。
奇岩は火山灰の堆積層なので、岩自体が柔らかく、洞窟などを掘るのにちょうどよかったんですね。
平地に小屋を建てるより、岩を掘った方が、簡単に家ができたというわけです。
我々はちょうど谷間の真中ぐらいまで来て引き返しました。

ゼルヴェを後にした私たちはシメジ型奇岩が生える『パシャバー』地区へ。
ここは他とは違って、平らな地面ににょきにょきとシメジくんが生えています。シメジの中に登ったりもできるのですが、内部は2階建てや3階建てになっていて、小さな教会もありました。

tour34.jpgここでちょっと辟易するのがお土産屋さんの青いビニールシート。奇岩を遠目に眺めると、どうしても青いシートが目に入ってしまうんですよね…。

でも、お土産やさんにはカッパドキアの奇岩型の置物や、奇岩型ボトルのカッパドキアワインなんかも売られていたので、みやげ物を見るのは面白いんですけどネ。
パシャバーのシメジたち。 →
そうそう、シメジのふもとにはラクダもいました。いくらか払うと写真を撮ったり乗ったり出来るんだそうですヨ。

tour44.jpgさて、そろそろお昼!カッパドキア地方にある『アワノス』という陶器で有名な町の洞窟レストランでランチ。
トルコの陶器といえば、やっぱりイズニック~キュタフヤの白地に青系の彩色のものが有名ですが、こちらアワノスの陶器は地元の赤い土を使った素焼きもの(→写真)。こちらもなかなか素朴でいい感じなのですが、途中寄った陶器工房では、やっぱりお土産用にはブルーの陶器が受けるのか、大半がキュタフヤと同じような陶器が売られていました。中に、赤い土のもので古代王国『ヒッタイト』のデザインを思わせるものがあって、欲しい~と思ったのですが、作家ものということで小さな壷が2-3万円ぐらいと聞いてあっさり断念…。
ちなみにこの赤い土ですが、主に近くを流れる『クズルウルマック』(その名も赤い河)で採れるそうです。
※ちょっと脱線しますが、この赤い河はトルコ最長の川で、マンガ『天は赤い河のほとり』の赤い河のことだそうです。

さあ、カッパドキアの奇岩地帯にはまだまだ見所があります!
tour43.jpgお次は『ウチュヒサール』。3つの要塞、という意味の名を持つカッパドキアのランドマーク。これも自然の奇岩をくりぬいて作った塔・要塞です。階段を登って岩山の頂上に上ると、ギョレメの奇岩群はもちろん、遠くまで見渡せます。上から見ると、カッパドキアの岩や地面の色も、黄色っぽいところやピンクがかったところなど、あって、なかなかの眺め。
↑ウチュヒサール
↓ウチュヒサールからの眺め

 奇岩群の最後はこの地方で一番の見所、『ギョレメ野外博物館』。ここはしっかりと整備された野外博物館で、大小さまざまな洞窟教会跡では、昔の人が描いた聖書の一場面の壁画が見られます。よく、教会が多いのは、昔の人々の信心深さだから、と言われますが、実はセルマン君によるとそれは後世の人が考えた美談。昔も今も事情は同じで、教会に対しては税の減免などがあったため、みんな競って教会を作ったのだとか…。
そんなわけで、壁画は本当に素朴なものから、素晴らしいものまで様々。でも、聖書の世界を知らないと、色々描かれている場面を説明されても良くわからなくって、ちょっと残念…。

 そろそろ日も傾いて来ましたが、最後の訪問先は、カッパドキアのワイナリー『Turasan Winary』。ワインテイスティングが出来る、ということだったのですが、少人数のせいか、赤・白2種類ぐらいの安いワインしか試させてもらえませんでした。1本2-300円と本当に安いのですが、味はそれなり。ワイン買って飲むぞ~と意気込んでいた我らも、『どうする?』と躊躇してしまいました。すると、ガイドのセルマン君、1本買ってプレゼントしてくれました。わ~い、いい奴。

ワイナリーを出るとちょうど6時。まだまだ日が沈むには間があるのですが『今日はここまで~』と言われ、『ええ~、もう終わりなの~?』とブーイングすると、『じゃ、デルベシュ君の経営する洞窟ペンションに泊まってるから、遊びに来るか?』と誘ってもらい、『わ~い』と遊びに行くことになりました。
デルベシュ君のペンションは、カッパドキアの中心『ギョレメ』村のオトガル(バス停)から約5分。そこでセルマン君の部屋を見せてもらったりして、お茶を飲んでいると、セルマン君に『買い物に行こう!』と言われ、土産物屋でも行くのかな~?と付いていくと、町の食料品店へ。一緒に飲もう!とワインを選んでくれました。
そこで我々が購入したのはTurasanの91年ものの赤。ちょっと高めで1000円ぐらい。一緒におつまみにピスタチオ、アーモンド、塩つきピーナッツ、ポテトチップスを買い込んで、ペンションへ。
いざ!酒盛り(?)開始~。この91年ものがおいしかった~。Turasanも、こういうのテイスティングさせて欲しかったな。

昼間はあんなに暑かったカッパドキアも、日が暮れると急に寒くなってきて、それまで飲んでいたテラスから、部屋の中に入ろうとすると、忙しそうに残った仕事をしていたデルベシュ君が、暖炉に灯を点けてくれました。
その後、仕事を終えたデルベシュ君も合流し、トルコ語と日本語と英語が混ざり合う中、なぜか『日土』心理テスト合戦(?)を交え、楽しく夜は更けてゆきました。そういえば、デルベシュ君には晩ご飯まで出してもらってしまったなあ…。感謝。
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2000年トルコ旅行記〈5〉

tour34.jpg
<カッパドキア到着!>
トルコといえばカッパドキア、というぐらい有名なカッパドキア。
私たち2人はサフランボルからアンカラ経由、アナトリア高原中央に位置するカッパドキアへ1日掛けてバスで移動しました。
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↑カッパドキア中心部のローズバレー
サフランボルから朝9:30のバスに乗り込みましたが、これがマイクロバスって感じの小さなバスで、途中、街のあちこちでお客さんをピックアップしながら途中の主要バス基点のカラビュックまで行きました。ここで、立派なバスに乗り換えたのですが、私たちは内心『このちっちゃなバスでアンカラまで行くんじゃないよね???と不安な気持ちは隠し切れませんでしたが、何事も結果オーライ。お客さんをピックアップしていく間に、道路わきのマンションのベランダでチャイを飲みながら談笑する人々等、普通の人々の生活を垣間見ることが出来て、なかなか良かったかも。

約3時間後、アンカラのオトガルへ戻ってきました。
さっそくカッパドキア行きのバスを探しはじめましたが、残念ながら朝のバスは出払ってしまい、15時のバスに予約を入れました。
そして、オトガル2Fのレストランでお昼ご飯。懐かしのトルコの味、『ドネルケバブと白いピラフ』、そしてここでもトルコパン『エクメック』でおなかいっぱい!飲み物はもちろんトルコのヨーグルトドリンク『アイラン』。
でも、なぜか私たちのアイランは超特大グラスで出てきたのはなぜ?他のおじちゃんたちはもっと小さいグラスだったのに…。
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バスに乗り込んだら、おなかいっぱいの私はバスの振動も手伝って眠りにつき・・・。気が付いたらバスはトゥズ湖の横を走っていました。途中、アクサライという街の辺りでバスは昔の『シルクロード』に入り、正面にはカッパドキアの地形を形作った火山、『エルジュス山』の山頂に雪をかぶった姿が見えてきました。
              エルジュス山の雄姿→

また、さすがに旧シルクロードということだけあって、道路沿いに点々と昔の隊商宿(ケルバンサライ=日本でいうと宿場町?)の跡とおぼしきものが見られました。
tour35.jpg朽ち果てて石積みだけが残っているところもあれば、立派な門構えが残っているようなところもありました。
←こちらは2日後のツアーで寄ったケルバンサライ跡。

2日後のツアーでその中の1つに立ち寄りましたが、外側や屋根は朽ち果てていますが、ドーム状の内部は当時の様子がうかがい知れ、不思議な感覚を覚えました。

やがて日も暮れようとする頃、ようやくバスはカッパドキア最大の街、『ネヴシェヒル』に到着。ここからはサービスバス(セルヴィス)というマイクロバスに乗り換えて、『ギョレメ』経由『ウルギュップ』に向かいます。この辺りから、だんだんカッパドキアの地形が薄闇と化した景色の中に浮かび上がってきてちょっと感動。奇岩の間にもぽつぽつと明かりが灯っていて、ああちゃんとここでも人が生活してるのね~とまたまた感動。。

ところで、カッパドキアのあの奇岩がどうやって出来たか知ってます?
なんでも数百年前にエルジュス山をはじめとする近隣の火山が大噴火を起こし、数十メートルも火山灰がこの地方に積もったんだそうです。さらにその火山灰の層の上に、溶岩が流れ出し、冷えて固まった後、長~い年月を掛けて雨と風による侵食を繰り返します。その時、火山灰の層は溶岩層よりも柔らかい為、奇岩の下部(きのこのジクに当たる部分)がより多く削られ、溶岩層がきのこの笠のように火山灰層の上に大きく乗っかったままの形になったというわけです。だから、よーく観察すると、近くにある奇岩同士の笠の部分は、線をひいたように高さが見事に揃っています。
tour34.jpg
↑きれいに地層の線がまっすぐなのがわかります?

さて、私たちのバスは、18時ごろカッパドキアにつく予定だったのですが、なぜか最終目的地についたのは19:20ごろ。オトガル(バス停)に迎えに来ているはずの、ツアー会社の人がいない!がーん。ここから先は、私の仕入先の会社でツアーを手配していたのですが、実はこのとき、カッパドキアのツアー会社の連絡先を教わっていなかったのでした!しばし途方に暮れる私たち。
ま、気を取り直して公衆電話からイスタンブールへ電話をしようとしたら、電話も掛からない~!
…と、さっそく客引きの兄ちゃんが寄って来ました。結構怪しげなカタコト日本語を話す兄ちゃんだったのですが、ここは仕方ない。彼の携帯を借りてイスタンブールと連絡。カッパドキアのツアー会社と連絡が取れるまで、オトガル近くの『怪しい兄ちゃん』の事務所で待たせてもらいました。
その間、怪しい兄ちゃんは『ベリーダンスは見たことあるか?一緒に行こう』と売り込み開始。う~む。ちょっと面倒くさかったですねぇ…。
待つこと約15分。1台のちょっとボロ車(失礼!)に乗ったちょっとうだつのあがらなそうな田舎っぽい兄ちゃんと、ちょっと美形のお兄ちゃんが現れました。その一見うだつのあがらなそうな兄ちゃんが、我らの面倒を見てくれるツアー会社のデルベシュ君でした。でも、さっきの怪しい兄ちゃんとは打って変わって、人の良さそうな素朴~な感じにひと安心。
が、彼は実はツアー会社と洞窟ペンションと洞窟レストランを経営する若き青年実業家だったのでした!いや~人は見かけに拠らない!?ゴメンネ~。

何でも彼はバス到着予定の18時から19時ちょうどまで、ウルギュップのオトガルで待っていたんだそうですが、19時前に着いたバスに私たちが乗っていなかったので、てっきり間違ってネヴシェヒルで降りたとおもって、そちらまで行ってくれてたんだそうです。とにかくほっ。

カッパドキアのお宿は、3つ星の『ムスタファホテル』。すっかりおなかが空いた私たちはレストランへ。ムスタファホテルは日本人の団体さんも来るような大きなホテルで、お食事はビュッフェ。
まあ、ビュッフェも悪くないけど、やっぱりロカンタでアツアツのお料理を食べる方が良いかな…。でも、朝ご飯は種類が充実していてよかったですね!
ちょっと悲しかったのは、飲み物の高さ。ワインが2人分の食事代ぐらいだったでしょうか?で、今夜はワインはパス。3つ星ホテルに安く泊まれたのは良いけど、こういうところは安宿の方が楽しめるかも知れませんネ。

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2000年トルコ旅行記〈4〉

<サフランボルのみどころ>
その①『人』
サフランボルは小さな村なので、特にツアーもないし、自分の足であちこち散策するのが楽しいところです。村の人たちも人懐こく親切で、お互い言葉は通じなくてもなんとなくコミュニケーションできてしまいます。

村の小さな喫茶店(?)でお昼を食べていると、高校生くらいの女の子と両親が、やはりお昼を食べていました。なんだかちらちらこっちを見ているな~と思ったら、一緒に写真を撮って欲しいと頼まれてびっくり。彼女たちはサフランボルの新市街の方からこちらの旧市街へ遊びに来ていたようです。

その後、村の中をふらふらと歩いていると、道端でお昼ご飯を広げている家族に会いました。何を食べてるのかな~と興味深げに覗いていると、『ブルユン ブユルン(どうぞ、どうぞ)』と私たちの座るスペースを作ってくれました。即席のテーブルの上に新聞をしいて、アルミのボウルとトルコパン「エクメク」がおかれていました。ボウルの中身は羊肉のミンチの煮込み。お昼ご飯を食べた後だったのですが、すっかりご馳走になってしまいました。
tour29.jpg

翌日、村はずれの方まで足を伸ばした私たちですが、2号は丘の上の墓地に上りたい、と崖を上ってゆき、私は公開されている古い家の内部を見学しようと別行動に。
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で、一人で歩いているとなんだか名前を呼ばれた気が…。ふと先を見ると2号が手を振っていました。2号は銅・錫細工屋さんで物色中だったのですが、村の人が『アルカダッシュ、なんとかかんとか~』と私がいる方を指差してくれたんだそうです。
『アルカダッシュ』はトルコ語で友達。おまえの友達あっちにいたぞ~と教えてくれたみたいです。丸1日村を歩いた私たち、すっかり村中の有名人!?

その②『世界遺産の街並みと建物』
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↑こちらはサフランボルの家、1階部分が家畜小屋になっている場合が多い。 トルコ民族は元々は遊牧民族。夏と冬は移動して住まいを変えるのが基本。その伝統がここにも残っていて、私たちが訪れたサフランボルの旧市街は、谷底にあって冬の間の寒風を防ぐことが出来るので、冬の家が多いそうです。トルコの民家の特徴は、張り出した2階部分なのですが、夏の家ではこれがバルコニーのような開放的な造りになっていて、冬の家ではこれが完全に室内にあるのだそうです。

この2階部分の張り出しのある建物は、イスタンブールでも時々見かけますね。
↓イスタンブール・アヤソフィア裏のオスマン式住居(ホテル等として保存されているもの)
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サフランボルでは何軒かの古い邸宅の内部が見学でき、そこには当時の生活を忍ばせるようなインテリアが展示されています。

トルコの人々も、靴を脱いで床に座る生活が基本。絨毯が敷かれた居間の窓際には、キリムか絨毯張りのソファ、手前には座布団代わりにキリムのクッションがおかれ、真中にはちゃぶ台を思わせるテーブル。窓のレースの日よけやその当時の人々の衣装は、日本のそれとは全く違いますが、なんとなく懐かしいような空間です。


番外編『ハマム(トルコ版銭湯)』
サフランボルのオトガル(バス停)の目の前、私たちの泊まったホテルの真ん前に、ハマムがあります。最初、女性用の入口がわからず、男性用ハマムの前でうろちょろしていたら、中にいたおじさんに手招きされ、男性用ハマムを見学しちゃいました。さすがに入浴中の人はいませんでしたが、バスタオル巻いた風呂上りのおじちゃんがいたりして、ちょっとドキドキ。

で、無事女性用の入口を教わって入場。当然英語のメニューなんてないので、トルコ語のメニューを見ながら身振り手振りで大奮闘。私は以前、イスタンブールのハマムに行ったことがあったのですが、その時のあかすりやマッサージがなんとなくイマイチだったので、今回は入浴のみで自分で体を洗うことにしました。一緒にいった2号の方は、ハマム初体験であかすり・マッサージ付きのフルコース。そんな一人一人したいことが違うから、なおさら受付のおばちゃんは大混乱で、ああでもない、こうでもないとお会計を済ますまでに10分くらい掛かってしまいました。

イスタンブールのハマムではででーんと太ったおばちゃんが黒いパンツ一丁で登場しましたが、ここでは聾唖者のきれいなお姉さんが真っ青なビキニで登場!
ハマム自体もイスタンブールのハマムよりも快適でした。イスタンブールのハマムよりこじんまりとしているのですが、大理石の台がよーく暖められていて、サウナ好きの私は大満足。マッサージをしてもらった2号もとても満足げで、私もフルコースにすればよかったーとちょっと後悔。
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↑赤いドームの下が脱衣所&くつろぎスペース。左側が女性用、右側が男性用。
手前がハマム内部。部屋ごとにドーム上の屋根が。


ちなみにトルコのハマムには湯船はありません。最初に脱衣所が回りに作られた広いドーム状のホールがあって、その先もいくつかのホールがあり、ホールごとに温度が変えられています。中央のホールの周りには蛇口と台座が並んでいて、まずはそこでお湯をたっぷり浴びたあと、真中の大理石の台の上であかすりやマッサージをしてもらいます。もちろん自分で洗うのもOK。
サフランボルのハマムでは一番奥の部屋はサウナのような感じで、大理石の台だけがおかれていました。

ハマムのドーム状の天井には明り取りのためにガラスのコップのようなものがたくさん埋め込まれていて、そこから日の光が差して来るのでなかなか雰囲気もGOOD。
サフランボルに行ったらぜひ、このハマムも試してみてください。

番外編 Part2『おみやげ』
サフランボルは私が『トルコの熱海』と名づけただけあって(?)ひなびた
お土産屋さんがたくさんあります。
レース編みのカーテンやブラウス、ハンカチなど、女の子に受けそうな
もの、いっぱいでした。(お値段もかなり安いです。)
でも!サフランボルのお土産はなんと言っても『ロクム』がおすすめ。
ロクムはトルコ土産としても有名な『ぎゅうひ』に似たお菓子で、イスタンブールのスパイスバザールやお土産屋さんでも普通に売っていますが、サフランボルの特産なのだそうです。
私もお店で味見をさせてもらいましたが、確かにイスタンブールで売られているものより味が濃く、それでいて甘すぎず(といっても甘いですが)、いい感じでした。
私は結局、先が長かったのでサフランボルでは買わなかったのですが、ちょっと後悔してしまいました。
お菓子関係のトルコ土産ならロクム、ロクム買うならサフランボル!

そういえばロクムに限らず、甘いもの関係、サフランボルは美味しかったですね…。


サフランボルでは2泊しましたが、本当に小さな村なので、見てまわるのはこれで十分。でも、本当にのんびり出来るいいところでした。あえて難点を挙げるとすると、旧市街にはロカンタ(食堂)が少ないと言うところでしょうか?

さて、サフランボルを後にして、私たちは再びアンカラ経由でカッパドキアへ。
途中、サフランボルの新市街で両替に銀行に入ったのですが、ここでも親切の嵐!というか、まだ朝9時前だったので、両替に少し時間が掛かるから座って待ってて、と言われ、座っていたら、なんとチャイを出してくれました。他にもたくさんお客さんはいたんですけど、チャイをもらったのは私だけ。5分待ってと言われて結局15分くらい待たされたけど、チャイのおかげで全然気にならず。外国人ゆえのサービスだったんでしょうか?

アンカラまでのバスはなぜか異様に小さなバス。すっごーく不安だったのですが、途中カラビュックで大型バスに乗り換えてひと安心。再び快適なバスの旅がはじまりました。

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2000年トルコ旅行記〈3〉

<世界遺産の木造住居を見にサフランボルへ>
サフランボルは、黒海近くの山あいの街で、トルコを周遊するのに入れるには少し交通の便が不便。でも、ユネスコ世界遺産にも登録されている、オスマントルコ時代の木造住宅群が残る村があるとのことで、今回、はずせない場所の1つとして予定に入れました。
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朝、6時半にホテルをチェックアウトし、タクシーで再びアタチュルク空港へ。今回はトルコ航空のフリーの国内線チケットを使って、アンカラまで飛び、そこからサフランボルへバスで移動します。
この日は朝早いため、ホテルの朝ご飯もまだ準備中。ヨーグルトとかチーズは並んでいたけれど、トルコパン『エクメック』がまだ調達できていなかったみたい。空港でチェックイン後、売店で食料を調達。が!桁が違うほど高い!う~む。パン2個で約400円。おいおい、昨日のお昼ご飯のキョフテ&サラダ&アイランより高いよ。教訓!空港内で食料調達するべからず。
(でも、飛行機の中でも機内食のサンドイッチが出たんですよね。スポンジケーキ付で。)


約1時間のフライトを経て、アンカラ空港へ到着。ここからアンカラ市内経由、アンカラのオトガル(バスターミナル、オトは車、ガルは駅の意)にHavas(ハバシュ)というサービスバスで移動します。

アンカラの街はさすが首都だけあって都会。でも、並木などの緑も多く、ポプラの木がちょうど芽を吹いたばかりでとてもきれい。新しい建物が多いし、新興住宅地といった感じでしょうか。

アンカラのオトガルでは、噂にたがわず、各バス会社のお兄ちゃんやおじさんが、客引きに躍起。
運良くすぐ出発するバスを見つけて乗り込みました。

私たちの座席は1番前の特等席!フロントの広~い窓から、春のアナトリアの大地を堪能できました。サクラのような花がたくさん咲いていたのですが、後で聞くところによると、アーモンドの花だったようです。

トルコの道路はとてもよく整備されているので、バスの乗り心地も抜群。で、サービス係の乗務員さんまですごい格好で眠り込んでいましたけど…。 
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途中、一度のトイレ休憩を経て、約3時間後にサフランボルの新市街へ到着。バスを降りるとさっそく周りにいた子供たちが、ものめずらしげに『ハロー』、と少し控えめに挨拶をしながら取り囲んできました。うーん、なんか素朴でいい感じ。でも、目指すは木造建築群の残る旧市街なので、さっそくタクシーを乗り継いで旧市街へ。

サフランボルでのホテルは、絶対古い家を改造したホテルにするんだ!と思って予約をしていなかったので、さっそくホテル探しを開始。
3-4件の小さなホテルを見てまわりましたが、安さとお部屋のかわいさ、おじさんの感じよさで、バス停前のHOTEL TERASに落ち着きました。

でも、改装したといっても、ほぼ原形に近い形で残されていて、天井や床も板張りで、床はなんとなく斜めっている、という味のあるお部屋です。窓のカーテン代わりの布や、オスマン時代を彷彿させるソファうに掛かっている白い布には、ホテルのオーナーの奥様の手作りのレース編の縁取りがあって、かわいいんですよ。
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そもそもこの村は、川で削り取られた谷合いにあって、冬の寒風をさえぎるので、主に冬の間の住居が多いため、家の壁も家畜の糞や土を混ぜたものを使っていて、保温性がとても高いということでした。

私達が泊まった日も、少し寒かったのですが、夜、ストーブで暖まった壁が朝になってもほんわか温かいような気がしました。 
 
そして、なんといっても面白いのがバスルーム。
一見クローゼットのような木の扉を開くと、その中にトイレとシャワーがついているのです!
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でも、その木の扉にカギなんて勿論ないし、ぴったり締まらなかったりするので結構恥ずかしかったりします(^^;少し高いホテルだと、その辺はもう少ししっかりしていたかもしれませんが、それも『良い味』と思って楽しみました。(ただ、シャワーを使うとトイレから何から全部びしょびしょになりそうだったし、ホテルのまん前にハマム(トルコ式銭湯)があったので、そちらを使うことにしました。ハマム体験はまた次回に。)

さて、サフランボルの街は5000年近い歴史があり、イスタンブールと黒海をつなぐ交易ルートの拠点として発展したそうですが、村に残る古い家の多くは18世紀から今世紀初頭に建てられたものだそうです。
その中の何件かの邸宅は、現在資料館として公開されていて、その当時の生活を再現した部屋を見せてもらうことも出来ます。

また、交易ルートにあったと言うことから、職人も多く集まってきて、今でも旧市街の一角では銅や錫製品を加工する加治屋さんの工房や、馬の鞍を作る職人さんの工房をのぞいたり出来ます。

世界遺産に指定されている割には、外国人観光客が余り多くないのでしょうか?おみやげ屋さんやホテルでも、英語が通じる率は結構低いのですが、それだけ素朴な地元の人たちが多く、子供たちも「ハローハロー」と人懐こく声を掛けてきたりします。
(子供たちはブロークンながらもちゃんと英語を話していて、トルコの英語教育、なかなかがんばってるのね?なんて関心しちゃいました。)
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それでも、トルコ人相手と思われる、お土産屋さんは結構あって、いたるところでレース編のテーブルクロスやカーテン、小物などが売られていて、お店の前ではお姉さんが針を動かしていました。そんななんとなくひなびた感じは、熱海か箱根かという感じ。私はひそかに『トルコの熱海』と名づけました。(

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2000年トルコ旅行記〈2〉

<トルコ・イスタンブール着~キリム職人を訪ねる>
やがて飛行機は12時間の飛行時間を終え、夜のイスタンブールに到着。

あれれ?なんか違うぞ?イミグレーション、こんなきれいじゃなかったよ、わ、荷物受け取り所も広くてきれい~。

そうなんです。イスタンブール・アタテュルク空港は、2000年を機にとってもきれいに立派に生まれ変わったのでした。

以前のあやしい雰囲気はほとんど消え去り、新しくてクリーンで明るい空港になっていました。なんでもヨーロッパ一駐車台数の多い駐車場が併設されてるんだそうです。


荷物をピックアップして、旧市街、スルタナメットへ。

今回のお宿はスルタナメットの中心、ヒポドロームという古代競技場から少しマルマラ海の方に坂を下ったところにある『アルバトロス』。仕入先のお店のすぐ裏手の小さなホテルです。
ちょっと部屋の中がしめっぽい気はするけど、ベッドカバーとかも可愛くてなかなかGOODです。

イスタンブールのホテルはフォーシーズンズのような超高級ホテルから、1泊20-30$のお手軽なホテル、1泊$10以下のユースホステルと、それこそ星の数ほど。ご予算に応じていろんなところが選べます。

私は余り高いところには泊まったことがないのですが、各部屋にハマム(大理石でできたサウナ風のトルコ風呂)がついているようなホテルも、まあまあリーズナブルに泊まれるんだそうです。そのうちそういうところに泊まりたいな~と夢(?)を膨らましています。


さて、荷物をおいて、いざ、夕食へ!
ホテルから5分くらいのところの『KOY OCAKBASI(キョイ・オジャクバシュ)』レストランで、トルコ風前菜『メゼ』の盛り合わせとおいしいトルコパンのエクメック、シシケバブとナスケバブにビールでおなか一杯。

このオジャクバシュというのは一般的なロカンタ(食堂)とは違って、炉辺焼きというか、焼き物を専門にするお店のことで、ケバブなどは勿論焼きたてが食べられます。このキョイ・オジャクバシュには今回の滞在中、何度かお世話になりましたが、古いキリムや馬具、キリムで作られたゆりかごなどが装飾で使われていて、椅子にはキリムのクッションがおかれていたり、テーブルごとにろうそくが灯されていたりと、なかなか居心地の良いお店。仕入先のお友達と言うことで、特別価格にしてもらえるのもうれしい原因の一つ。


翌朝は、久しぶりのアザーン(エザーン)の大音響で目が覚めました。
このアザーンはイスラム教国ではどこでもおなじみだと思いますが、イスラム教の1日5回のお祈りの時間ごとに、モスク(イスラム教会)のミナレットという尖塔から『アッラーは偉大なり~云々かんぬん~』という『お祈りの時間だよ~モスクに来い~』という呼びかけの声が大音響で流されるのです。昔は本当に尖塔の上から肉声で呼びかけていたんだそうですが、今はスピーカーで流されています。でも、ちゃんとその時間にその係りの人が謡っているのだそうです。

で、1日の最初のお祈りの時間は『日の出』。なので、朝早くからこの大音響で起こされることになります。


ホテルでフランスパン風トルコパン『エクメック』と山羊のチーズ、オリーブ、蜂蜜、トマト、きゅうりの並ぶトルコ式朝食を食べて、まずは仕入先のお店へ。

今日はキリム職人のおじさんの工房をのぞかせてもらいます。車で5分ほどの旧市街のマンションの1室に、そのおじさんの工房はありました。

普通、キリムは村の女性の織るものと決まっていますが、このおじさんはキリムの魅力に魅せられて、伝統的なモチーフとモダンなデザイン、そして繊細な技術で新しい感覚のキリムを生み出しているんです。


工房には染め上げられた草木染めの毛糸が掛けられ、おじさんの織りかけのキリムが織機に掛かっていました。今回はあるお客様のオーダーメイドのデザインをおじさんに頼むものがあったので、雑誌の写真を見ながら色糸を一緒に選ばせてもらい、私もおじさんの織りかけのキリムを少しだけ織らせてもらったのです。
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キリムを織る技術自体は、そんなに難しいものではないけれど、織機に細かい間隔で糸を掛けるのも、一目一目織っていくのも本当に時間が掛かるので、気が遠くなっちゃいますね。あ、もっと大変なのは、下絵のないキャンバス(織機に掛かった縦糸)に頭の中で絵を組み立てて色を組み合わせていくことですね。(^_^;)


また、木箱に大切にしまわれていた、おじさん自身の作品もたくさん見せてもらいましたが、最近流行りのチューリップ柄や、オスマントルコ時代のタイルのモチーフをアレンジしたものや、絵画をそのままキリムにしたようなものなど、素敵な作品でいっぱいでした。


おじさんは、ご自分で織られたものは息子さんや娘さんの名前を織り込んで、彼らの結婚のプレゼントにするので売らないんだそうです…。私たちの手に入るものは、コンヤの村の娘さんたちに織ってもらっているんです。


さて、午後はグランドバザールをのぞき、グランドバザール近くの金物問屋街(チャイのポットやトルココーヒーを淹れる銅製の道具などを売ってます)をのぞいたり、あてもなくそぞろ歩きを楽しみました。
途中、チャイのグラスセットや、おみやげ用のオリーブ石鹸などを買いました。


さあ、明日はいよいよ世界遺産の木造住宅群の残る『サフランボル』へ移動します。早起きなので早々におやすみなさい~。

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